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正月にちなんだ縁起物いろいろ


              護王神社の「こまいのしし」(上京区)


 ことしの干支は“亥”。猪突猛進などに代表されるようにワイルドな動物、猪。“亥”は十二支では最後に置かれ、北北西の方角、昔の時刻名では、今の午後十時ごろ、またその前後二時間のこと、陰暦十月の別名などの意。
“亥”は、中国語ではガイ、カイと読み、猪または豚の骨格を縦に描いた文字で、骨組み、骨組みができあがるの意も含んでいて、骸(骨組みの意)・核(果実の骨組み、堅い殻や、芯の意)・刻(堅い物を刀でごつごつと彫るの意)などの意味になるとか。中国で戦国時代以後に十二支に動物が割り当てられ、“亥”には日本でいういのししが当てられたので日本では亥を「い」と訓読しています。
 犬+者(充実する、太るの意)から成る″猪″という漢字本来の意味は、太ったいのししで転じてぶたの意ともなりました。一方、猪は日本では、い(ゐ)、い(ゐ)のしし、い(ゐ)のこのことで猪を“いのしし”ともいうのは「猪(い)の獣(しし)」の意味だという説があります。
 また、猪の肉は美味で、獣肉の食用を忌み嫌った時代でも、“山鯨”と称し、鯨という水産物に見せかけて賞味されたほどでした。猪口を口に運びながら、ぼたん鍋もいいものですね。この一年もがんばりましょう。

正月
 一般に元日から三が日、せいぜい「松の内」までを「正月」と呼んでいますが、ところによっては七日を「七日正月」、十一日を「田打正月」、十五日を「小正月」、二十日を「二十日正月」、「二十五日」を「しまい正月」などといっています。このように正月というと、一月のうちの特定の日をさしていうことが多いのですが、もともと正月というのは一月の別称のことなのです。正はあらためる、あらたまるという意味なので年のあらたまる月ということで一月を「正月」というようになったのだといわれます。
 古代にあっては「むつき」と呼んでいたらしく、その最も古い文献では『日本書紀』(720年)の神武天皇紀に「四十有二年壬寅(みずのえとら)、春正月(むつき)壬子(みずのえね)、朔甲東(きのえとら)、皇子神渟名川耳尊(かんぬなかわみみのみこと)を立てて皇太子となす」とあるのをはじめとし、『万葉集』にも「むつき」の文字がみえ、
 これは正月になると、家がなごやかにむつまじく楽しい日を送るということからいわれたのだとしています。今では「睦月」の字があてられています。
 また、人の子の一番初めの者を太郎と名づけるならわしから「太郎月」といわれ、年の端なので、「年端月」ともいわれます。このほかに初空月、首、歳、献歳、発歳、初陽、方歳、初春、霞初月などいろいろの名前があります。


門松
 最近は少なくなりましたが、お正月の風物のひとつは門松でしょう。松の緑と竹のすっきりした形がめでたいものとされ、家の門を飾っています。
 この門松はいつごろから始まったかといえば、鴨長明が編集したといわれている『四季物語』に「松竹を立てらるるは欽明天皇の御代より始まる」と書いてあるとおりとする説もありますし、他の説では、平安朝の末ごろからだといわれています。
 昔は、天皇の行幸などのとき、道端のきたないところやきたない家などを隠すために、生木の松や竹を一面に立てるならわしがあり、これから、年の始に門前を美しく飾るため門松を立てる風習が出たのだそうです。江戸時代に入ると、珍しい門松がいろいろとあったようです。名高いものには、佐竹の人飾りと称して下谷三味線堀の佐竹家(大名)では、門前に竹を立て、松のかわりに、裸にした若い女を大の字の形にくくりつけて飾ったそうですし、南部家では塩鯛の松飾りを立てたり、尾州家では衣桁を立ててそれに浴衣をかけて飾りにしたという変り種が記録に残っているようです。
 竹の束を立てる門松は、徳川家康が三方が原合戦で敗けて浜松城にたてこもったときのお正月に、弾丸除けの竹束に松を飾ったのがもとで、江戸城では竹束門松を飾ることになり、それがだんだんと武家屋敷に普及したのだといわれています。


松竹梅と正月の縁起
 日本のお正月には、松竹梅のほかに、ウラジロ、ユズリハ、ダイダイ、ナンテン、ヤナギ、エンドウなど、いろいろな植物が用いられます。これらは、装飾的な意味のほかに、縁起を祝うものがその大部分です。松竹梅について、松は濃緑の葉が強く育つところから、不老長寿、信義、格調の高い、といったような意味があり、竹はたくましい成長力を買われ、また節の中がガランドウになっていることから、心身の潔白、正直を示したものだといいます。松と竹に梅を配するのは、酷寒に耐えてみごとな花を咲かせるので、忍耐、努力、剛健を象徴したものといわれます。
 ウヲジロは襲名で歯朶(しだ)といい、歯は齢、朶は枝のことで、齢が枝のように長く伸び栄えるという縁起を祝い、ユズリハは新芽が出てから古い薬が落ちるというので、父子相続の祝いとし、ダイダイは親子代々の意味をもち、両者合わせて、家系尊重、子孫繁栄を祈るためのものといわれます。また、ナンテンは難を転じて幸福をもたらし、ヤナギは平和、エンドウの花はマメになるようにとの願いがこめられたものといわれます。同じような意味で伊勢エビは、芙しく威勢のよいところが喜ばれ、腰が曲がるほど長寿で健康であるように祈ったもの、カチ栗は勝来るに通じた縁起によるものといわれています。


お雑煮
 京都のお雑煮といえば、これはもう白みそ仕立てでないと雑煮ではありません。丸餅に、大きな頭いもを丸ごと一個。あとは各家のしきたりにしたがって、大根、にんじん、豆腐、子いもなどの具を入れます。最後に、糸削りのかつお節を一掴み盛りあげて出します。
 椀を手に取ると、白みその湯気が豊かに匂い立ち、落としたばかりのかつお節がくねくねと踊るさまもおもしろい。食べ始めると、まったりとした白みその甘みがお腹をあたため、いかにものどかな初春の朝にふさわしく、ほのぼのと胃を満たしてくれます。しかし、頭になることを願うという頭いもを食べると、もうほとんど満腹状態になってしまう。ひょっとするとこれは、おせち料理に手をつけさせないための京都人特有の知恵ではないかとさえ勘ぐってしまう。いずれにしても、正月は京の雑煮で祝いたいですね。
 お雑煮の起源は、平安朝時代のお歯固めという宮中の元旦の儀式だといわれ、それは生大根、塩アユ、味噌づけ、鹿の肉、猪の干肉などを生餅と一緒に煮て食べる行事だったそうです。
 お餅というものは、わが国では弥生式時代(約三千年前)にも、すでに作られていたといわれ、お餅が白い鳥になって飛んで行った処に稲が実ったなどという伝説もあるそうです。
 お餅といえば、その中でいちんお正月の風趣のあるのがお鏡餅(おそなえ)で、これは、まるい鏡の形をまねたものだそうで、円満と清浄潔白の心をあらわし、大小二つ重ねるのは、太陽と月を象徴し、また、福徳円満なことがたび重なるようにという瞬いを意味しているのだといわれています。


おせち
 おせち料理といえば、黒豆、きんとん、昆布巻、煮しめなどが普通で、家でつくるものでしたが、最近では料亭やホテルのおせちを買い求める家も多くなってきました。和風、洋風、中華風のものなど種類も多彩です。
「おせち」ということばは、節句の古語である御節供(おせちく)の略語であるといわれ、御節供は単に節供(せちく)ともいい、節句の供物というような意味から生まれたことはだとされています。
 したがって「おせち」は、もともと五節句といえば、人日(じんじつ)=正月、上巳(じょうし)=三月、端午(たんご)=五月、七夕(しちせき)=七月、重陽(ちょうよう)=九月など、節句の日に作る食物全般に通ずることばだったのです。正月の七草がゆ、三月三日の草もち、五月五日のチマキなどは、いずれもおせち料理であるわけです。
 これが現在のように、お正月料理に限っていうようになったのは、節句のなかでもとくに年の始めを重んじた風習からだといわれています。
 昔の料理の本には、おせちは、ゴボウ、イモ、ニンジン、コンニャク、ダイコン、焼豆腐など、精進ものを主として作った煮しめが普通だったと書かれています。そういえば、おばあちゃんは「煮しめ」って呼んでましたわ。
 ともあれ、お正月のおせち料理は、「せめて松の内は主婦を休ませよう」というところ大切にしたいものですね。

屠蘇
 もちろん、正月松の内のお祝いに用いる薬酒です。この「屠蘇」という字は、もとは中国で「蘇」と呼ばれた悪鬼を蘇(ほう)る、つまり殺すという意味をもつといわれ、また、屠蘇という字の意味はともかく、この薬酒が屠蘇と名づけられたのは、次のような中国の物語から出たと伝えられています。 
 昔、中国が唐といっていた時代に、道術家、俗に仙人といわれるような孫思ばく(そうしんばく)という人が、屠蘇庵という名の草家に住んでいました。そして毎年大みそかの夕方になると、一つの袋に薬を入れて、井戸へつけさせ、元旦になるとこれを取り出し、酒樽に入れて飲んだのです。これを飲めば、その年病気にかからないというので、いつか里人もまねするようになり、その名も「屠蘇庵」にちなんで「屠蘇」と呼ぶようになったとか。
 わが国では、平安朝の初期、嵯峨天皇の弘仁2年(811年)にはじめて宮中に用いられるようになり、その後、民間にも広まっていったとのことです。
屠蘇は元来、山淑、肉桂、桔梗など八種の薬種を一定の処方に従い、各家で調合して作られていたものです。しかし、明治にはいってからは「屠蘇散」と命名され、袋入れした、いわゆるインスタント屠蘇といったようなものが売り出されましたが、薬効の目的よりも新年の形式が主になってしまいました。


七福神
 お正月にその年の福を得ようとする日本古来の風習として、七福神詣があります。七福神は、夷(恵比須)、大黒天、弁才天(弁財天)、昆沙門天(多聞天)、寿老人、布袋和尚、福禄寿の七神をいい、仏教の「七難即滅、七福即生」から、室町時代(1300〜1500)に成立したもののようで、その末期には「七福神盗賊」と称して、七福神の服装でしのび入る泥棒には、福人が来たといって、お金や品物を与える迷信すらあったと伝えられています。
 七福神のうち大黒天、毘沙門天はインドの神様で、仏法の守護神、また弁才天女もインドで、これは音楽をつかさどる神様、福禄寿、寿老人、布袋和尚は中国の福徳神、夷様だけが日本出身の神様で、元来漁民たちの守り神だったものが、後には広く一般の事業繁栄の福徳神として信仰されるようになったものといわれています。
 しかし、これら七福神の神名は必ずしも一定しておらず、大黒天を大国主命、弁才天を天鈿女命(あめのうずめのみこと)、福禄寿と寿老人は一体なりとして吉祥天(昆沙門天の妃)、また、寿老人のかわりに猩猩(しょうじょう)を加えたりする説などいろいろあります。七福神は福の神様としてお正月の風物詩になくてはならないものの一つといえましょう。

七草
 正月七日の朝、七草粥を食してお祝いする行事で、別に「人日(じんじつ)の節句」ともいい、五節句の一つに数えられています。七草の種類については古来まちまちで、鎌倉時代(1192〜1333)には、セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコべラ、仏の座、スズナ、スズシロ(大根)をあげ、室町時代(1338〜1597)には、セリ、ナズナ、.コギョウ、仏の座、田平子、耳ナシ、アシナをあげています。
 この七草粥の行事は、弘安四年(813)に嵯峨天皇に若菜の御膳を奉ったのが始まりといわれ、はじめはたんに宮中での行事としていたもので、これがやや儀式化されたのは室町以後で、公式の節句として定められたのは、江戸時代のことといわれています。
 しかし、七草粥は、もともと、米、粟、キビ、ヒエ、ミノ、胡麻、小豆の七種の穀類から作られたことから、「七草粥」は「七種粥」と書くのがほんとうで、正月七日にこの行事をおこなうのも、七という数字から定められたのだとされています 
 人日の節句といったのは、これは中国の古俗に、正月七日を人日といってこの日に七種(しちしゆ)
菜羹(さいかん/七種の若菜)を食して万病除けのまじないとしたところからいわれたもので、これはたんに名称をとっただけで、行事としては日本古来からのものと考えられています。


鏡開き
 1月11日は「鏡開き」の日です。この日にはお正月の鏡モチを神棚から下げて、お雑煮やおしる粉にして祝う風習があります。これは福徳円満を象徴する鏡モチを食べて、子孫繁栄をお祝いしたものといわれます。
 この風習は古く室町時代(1300年ごろ)からといわれ、本来は20日におこなわれていたものです。武家では「具足開き」といって、武具に供えた鏡モチ(具足モチ、鎧モチ)を雑煮にして食べるのを「刃柄を祝う」といい、また婦人は鏡台に供えた鏡モチを「初顔祝う」といい、ともにその語呂が「はつか」にかかるところから、その日を20日にきめ
たのだとしています。11日に改められたのは承応年間(1600年代)で、これは徳川三代将軍家光の忌日が4月20日(慶安4年)だったことによるといわれます。
 鏡モチは、手または槌などで割るのが古式にのっとったもので、これは祝儀のとき、「切る」ということばを忌んだ風習によるもので、めでたく「開く」ということばを用いています。なお、モチは漢字で「餅」の字をあてますが、これは「望(もち)」に通じたことはといわれ、「望」は「望月」(陰暦十五夜の月)の略語で、満月のような清浄潔白で円満な心を願ったものだといわれています。いろいろなお祝いにモチがつきものなのも、こうしためでたいいわれからのことでしょう。

正月にちなんだ縁起物
七福神
福徳の神として信仰される七神(大黒天、恵比須、昆沙門天、弁財天、布袋、福禄寿、寿老人または吉祥天)の組み合わせ。これらは平安期以来、個別に福神として信仰を集めてきた神々ですが、室町時代に「七」の聖数にあてて組み合わされ、江戸時代に商人の間に福徳施与の神として広まりました。七福神詣でや初夢の宝船信仰習慣を生みました。

だるま
禅宗の始祖・達磨大師の坐禅姿を写した縁起物の玩具。赤塗りで座におもりをつけ、倒してもすぐに起き上がる仕かけになっています。その昔、養蚕が盛んだった関東地方では、蚕の上族(絹の仕上がり)が、ダルマの「あがり」にかけて良くなるようにと、歳末から3月にかけて飾る習慣がありました。現在では、正月に限らず、商売繁盛・招福開運・必勝祈願に用いられています。

宝船
七福神といえ宝船はつきもの。正月2日の夜、七福神を乗せた宝船の絵が描かれた紙を枕の下に入れて寝ると、縁起のよい初夢を見るという言い伝えがあります。かつては初夢でその年の運勢を占う習慣があり、悪夢を見てしまったら七福神の絵が書かれた紙を宝船に添えて川に流すという風習がありました。

富士山・鷹・茄子
「一富士二鷹三茄子」は、吉夢(縁起の良い夢)の代表です。富士山は新年のご来光、鷹は勇姿の象徴で、茄子は実がよくなることから「成す・為す」をかけて、大願成就・子孫紫栄の意味がこめられています。また、江戸時代に東海地方の暖冬地で茄子の促成栽培がはじめられ、夏の野菜が初春の初物として珍重されました。そこから茄子を得がたい貴重なもののたとえとするようになったともいわれています。

招き猫
招き猫は、客を呼び込み、福を招いて、商売の妨げになる災いを追い払うといわれています。江戸時代、江戸は両国に「金猫叙猫」という店があり、金銀を彩色した招き猫を店頭に飾ったところ、商売が繁盛したというのが起こりだといわれます。招く前足は左右ともにあり、前足の甲を外に向けたものもあります。福徳招来の縁起物で、江戸後期に大流行しました。福を叶えるので、「叶福助」ともいわれます。江戸時代、摂津国西成都(現在の大阪市西成区あたり)に大東で小柄な人がいて、幸福な一生を送ったことから、それに似せて作られた人形だといわれています。福助は福を招き、運を開くものとして現在でも店先の棚に飾られます。


松は神霊が宿る神聖な木と信じられています。神社や仏閣に松が構えてあるのをよく見かけますが、これは神仏が松の木に降臨するという信仰によっています。正月の門松は、そのような松の神聖なカにあやかって年神様を迎えるために飾ります。


竹は古くから身近な素材として日常生活の用具に広く使われ、日本の民俗行事や神事には欠かせません。竹は新春を迎え、力強い太陽の光を待ち望む願いを表わしています。冬でも枯れることがない竹は神を迎えるのにふさわしい植物で、寒い冬の雪の重みにも耐え、春とともにそれを跳ね返して成長する生命力を持っています。


まっすぐに伸びた梅の若枝で作った杖は、邪気を払う霊力があるといわれています。梅は7世紀頃に中国から日本に伝わり、江戸時代に品種改良が進んで、現在のように新春に花を咲かせる木として縁起物のひとつに数えられるようになりました。特に「梅にうぐいす」は物事の組み合わせが適切なことのたとえとして、詩歌や絵画によく登場します。


優美に天空を舞う鶴は、異郷から人界を訪れる霊鳥として古くから崇められていました。鶴の夢を見ると長生きするとか、鶴が舞い降りるとよいことが起こるといった言い伝えがあり、願いをこめて千羽鶴を祈るのはこのような俗信によっています。「鶴は千年、亀は万年」といいますが、このふたつの動物は長寿を麻うめでたいものとされています。


浦島太郎の話にもあるように、海から陸に上がる亀は、異郷と人界を結ぶものと信じられてきました。例えば、漁師が亀を捕らえると酒を飲ませて放すのは、そうすると運がよくなり、魚が多く採れるといわれているからです。百年以上生きる亀もいることから、亀は長寿の象徴とされています。鶴と亀はそれぞれにおめでたい生きもので、両方いるとめでたさが倍増しますが、必ずしも一緒に使う必要はありません。

海老
海老(特に伊勢海老)は鎧鬼に身を固めた武士のような風格なので武勇の象徴として縁起物とされています。江戸時代から鏡餅やしめ飾りの四手(神事物に下げる細く切った紙)の要として海老をあしらい、また、海老の赤い色が無病息災の魔除けになるともいわれています。その姿が腰の曲がったヒゲの長い老人にも似ていることから「海老」という漢字があてられ、長寿の象徴にもなっています。


鯛は「古事記」や「万葉集」にもその名が登場するほど、日本人が古来から親しんでいる魚です。七福神の恵比須神が釣り上げて持っている魚も粥。「めでたい」と通じる語呂合わせから、さまざまな祝いの料理や進物に使われ、赤という縁起のよい色彩と整った婆、そして味のよさから吉祥魚とされています。

ことしの漢字は「命」

2006年の世相を象徴する「ことしの漢字一字」には、「命」が選ばれた。「漢字の日」である12月12日、財団法人日本漢字能力検定協会(京都市)が清水寺で発表した。ことしは全国から過去最多の約9万2千5百通の応募があり、「命」が第一位。秋篠宮家の長男悠仁さま誕生で、生まれた命に注目が集まった。一方では、いじめや自殺、虐待、飲酒運転など痛ましい事件が相次ぎ、尊い命が奪われた。二位は秋篠宮家の長男悠仁さま誕生にちなんで「悠」。三位は「生」、以下「核」、「子」、「殺」、「珠」と続いた。

「今年の漢字」は、漢字が持つ奥深い意義を再認識してもらおうと、財団法人日本漢字能力検定協会がその年をイメージする漢字一字の公募を全国よりおこない、最も応募数の多かった漢字一字を、その年の世相を表わす漢字として、毎年12月12日「漢字の日」に清水寺にて発表。京都の清水寺奥の院舞台にて、貫主により巨大な半紙に漢字一字が揮毫されるシーンは報道でもおなじみ。1995年より毎年、その年を表わす漢字一字を募集し、世相漢字を決定している。

ちなみに、第一生命のサラリーマン川柳、住友生命の創作四字熟語、自由国民社の新語・流行語大賞と並んで、現代の日本の世相を反映する一つの指標として使われることが多いとか。

2006年「命」
秋篠宮家の長男悠仁さま誕生。いじめ自殺、虐待、飲酒運転など痛ましい事件相次ぐ。

【歴代の今年の漢字】
2005年「愛」
紀宮清子内親王と黒田慶樹さんの結婚。愛・地球博開催。字は異なるものの「アイちゃん」の愛称で親しまれている歌手・女優・スポーツ選手が活躍した年。

2004年 「災」
台風、地震、豪雨、猛暑などの相次ぐ天災。イラクでの人質殺害や子供の殺人事件、美浜原発の蒸気噴出事故、自動車のリコール隠しなど、目を覆うような人災が多発。「災い転じて福となす」との思いも込めて。

2003年 「虎」
阪神タイガース、18年ぶりのリーグ優勝。衆議院選挙へのマニフェスト初導入で政治家たちが声高に吠(ほ)えたこと、「虎の尾をふむ」ようなイラク派遣問題など。

2002年 「帰」
初の日朝首脳会談。北朝鮮に拉致された日本人5人が帰国。日本経済がバブル以前の水準に戻ったこと、昔の歌や童謡のリバイバル大ヒットなど「原点回帰」の年。

2001年 「戦」
米国同時多発テロ事件で世界情勢が一変して、対テロ戦争、炭そ菌との戦い、世界的な不況との戦いなど。

2000年 「金」
シドニーオリンピックでの女子柔道の田村亮子(現・谷亮子)が金メダル、女子フルマラソンの高橋尚子が金メダル。南北朝鮮統一に向けた“金・金”金大中と金正日による初の南北首脳会談首脳会談の実現。新500円硬貨、二千円札の登場など。

1999年 「末」
世紀末。東海村の臨界事故や警察の不祥事など信じられない事件が続出し「世も末」と実感。来年には「末広がり」を期待。

1998年 「毒」
和歌山のカレー毒物混入事件や、ダイオキシンや環境ホルモンなどが社会問題に。

1997年 「倒」
山一證券など大型企業の倒産、銀行の破綻が続出。サッカー日本代表、強豪を倒してワールドカップ初出場決定。

1996年 「食」
O-157による集団食中毒が多発。さらに狂牛病の発生、税金と福祉を「食いもの」にした汚職事件の多発。

1995年 「震」
兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)。オウム真理教による地下鉄サリン事件、金融機関などの崩壊などに“震えた”年。

        *財団法人日本漢字能力検定協会の資料参照


アンクルトリス
22年ぶり復活
サントリーのCM

サントリーは1960年代などに人気を集めた懐かしのキャラクター「アンクルトリス」が登場するテレビCMを27日、復活させる。ウイスキーのロングセラー「トリス」の新製品を18日発売したのに合わせ、全国放映する。▽アンクルトリスのCMの本格的な放映は22年ぶりで、バーに現れたアンクルトリスが店のママに「22年ぶりだね」と声をかける。飲むと顔が赤くなるおなじみのシーンも。アニメは生みの親である画家の柳原良平氏が新たに描いた。
(2003.03.26 日経新聞より)


流行語大賞「イナバウア」「品格」
「エロカッコイイ」「ハンカチ王子」「メタボリックシンドローム」
「シンジラレナ〜イ」


一年の世相を反映し、強いインパクトを残した言葉に贈られる「2006ユーキャン新語・流行語大賞」(「現代用語の基礎知識」選)の年間大賞に、トリノ五輪金メダリストの荒川静香さんの「イナバウア」と、「国家の品格」の著者である数学者の藤原正彦さんの「品格」が選ばれた。年間大賞以外のトップテンは倖田來未さんの「エロカッコイイ」、プロ野球日本ハムのヒルマン監督の「シンジラレナ〜イ」のほか、ミクシィの「格差社会」、キグルミの「たらこ・たらこ・たらこ」「脳トレ」「ハンカチ王子」「メタボリックシンドローム」。こうしてみると、ことし話題を呼んだものばかり。
ちなみに1984年からはじまったこの流行語大賞は、NHKの連続テレビ小説『おしん』に因んだ新語「おしんドローム」。中曽根康弘(内閣総理大臣)の「鈴虫発言」。ニューアカデミズムの旗手といわれた浅田彰の「スキゾ・パラノ」。渡辺和博は著書『金魂巻』からの「まるきん まるび」。1984年に放送されたTBSテレビの金曜ドラマ「くれない族の反乱」から生まれた「くれない族」。人気番組のフジテレビ「笑っていいとも」で所ジョージがはやらしたギャグ「す・ご・い・で・す・ネッ」。TBSテレビ「スチュワーデス物語」で、主人公・松本千秋(堀ちえみ)が連発するセリフ「教官!」ほかに「千円パック」「疑惑」「特殊浴場」。
ところで、昨年の流行語大賞って覚えている?小泉首相の「小泉劇場」、ライブドア堀江貴文社長の「想定外」。小池百合子環境大臣の「クールビズ」、レイザーラモンHG「フォーー!」、「刺客」「ちょいモテオヤジ」「富裕層」「ブログ」「ボビーマジック」「萌え〜」。



京ことば
実に多彩な京ことば。ちょっと知っていると便利みたい。
ただし使い方を間違えないように。
 

「あがる」    北へ行くこと。
「あかん」    いけません。
「あんなぁ」   あのねぇ。
「あんばよう」  上手に。都合よく。
「いぬ」     帰る。
「うち」     私。
「うまき」    鰻巻き。鰻を芯にした卵焼き。
「うらんちょ」  裏の町。
「おうち」    あなた。
「おおきに」   ありがとう。
「おいど」    尻。
「おいない」   おいでなさい。
「おこしやす」  いらっしゃいませ。
「おいでやす」  いらっしゃいませ。
「おしまいやす」 こんばんは。
「〜おす」    あります、ございます。
「おてしょ」   小皿。
「おばんざい」  日常のお惣菜。
「おぶ」     お茶。
「おへん」    ありません。おまへんとも。
「おつむ」    頭。
「おまん」    饅頭。
「おやかまっさん」お邪魔しました。
「かって」    借りて
「かど」     表、外のこと。
「かなん」    いやだ。かなわん。
「かまへん」   かまわない。
「かんにんえ」  ごめんね。許してください。
「ぎょうさん」  多く、たくさん。
「ぐじ」     甘鯛のこと。
「くちなわ」   へび。
「けったいな」  変な。おかしな。
「こうて」    買って。
「こそばい」   くすぐったい。
「ごもく」    ゴミ。
「ころっと」   すっかり。とんと。
「さいなら」   さようなら。
「さがる」    南へ行くこと。
「さっぱり わやや」 まったく台無し。
「しょうもない」 つまらない。
「しんどい」   つらい。
「しんきくさい」 まどろっこしい。
「そうかて」   それでも
「だいじ おへん」 さしつかえない。
「たんと」    多く、たくさん。
「ちょうず」   お手洗い、トイレ。
「ちょびっと」  少し。
「ちょろこい」  たやすい。
「ちんまり」   こじんまり。
「でぼちん」   おでこ、額。
「どうえ」    どうですか。
「どす」     です。
「どんつき」   突き当たり。
「なんぎやなぁ」 困ったな、迷惑だな。
「なんぼ」    いくら。
「にぬき」    ゆで玉子。
「ねき」     そば。近く。
「ねぶる」    なめる。
「はしこい」   すばやい、頭の回転が早い。
「はしり」    流し(炊事場)のこと。
「はばかりさん」 ご苦労さん。ありがとう。
「はる」     なさる。なはる。
「はようおかえりやす」 いってらしゃい。
「はんなり」   華やかで上品な明るさのこと。
「ひざぼん」   膝小僧。
「びびる」    ちぢこまる、気おくれがする。
「ぶっちゃける」 打ち明ける。
「ぶぶ漬け」   茶漬け飯。
「へぇ」     はい、はぁ。
「ほたえる」   あばれる
「ほな」     そしたら。
「ほんま」    本当、真実。
「まったり」   とろんとして穏やかな口あたりのこと。
「もっちゃり」  野暮ったい。
「やすけない」  品がない。
「ややこ」    赤ん坊。
「よう、いわんわ」とんでもない、ばかなこといわないで。
「ようけ」    多く、たくさん。
「よんべ」    昨夜。 
「わや」     無茶。

 *他にも多くの京ことばがあります。

丸竹夷 東西の通りの数え歌
まるたけえべすに 丸太町・竹屋町・夷川 ・ 二条
おしおいけ 押小路・御池
あねさんろっかくたこにしき 姉小路・三条・六角・蛸薬師・錦
しあやぶったか 四条・綾小路・仏光寺・高辻
まつまんごじょう 松原・万寿寺・五条
せったちゃらちゃらうおのたな  魚の棚
ろくじょうさんてつとおりすぎ 六条・三哲
ひっちょうこえればはっくじょう 七条・八条・九条
じゅうじょうとうじでとどめさす 十条・東寺

寺町御幸 南北通りの数え歌
てらごこうふやにとみ 寺町・御幸町・麩屋町・富小路
やなぎさかいたかあいの 柳馬場・堺町・高倉・間之町
ひがしはくるまやちょう 東洞院・車屋町
からすりょうむろ 烏丸・両替町・室町
ころもしんかま 衣棚・新町・釜座
にしおがわ 西洞院・小川
あぶらさめがいほりかわのみず 油小路・醒ヶ井・堀川
いのくろおおみや 猪熊・黒門・大宮
まつひぐらしに、ちえこういん 松屋町・日暮・知恵光院
じょうふくせんぼん、はてはにしじん 浄福寺・千本

ひとめふため
ひとめ、ふため、みやこし、よめご
いつやのむさし、ななやのやつし ここのや、
とおや ひいやあ、ふうみい、やあよお いいつや、
むうなあ、なあや こおっことお

京の大仏つぁん
京の京の大仏つぁんは 天火(てんび)でやけてな
三十三間堂が焼け残った アラ、
どんどんどん コラ、どんどんどん
うしろの正面どなた おさる
キャッ、キャッ、キャッ 鬼「◯◯さん」
「ちがいました、ちがいました、松の影」

一条戻り橋
一条戻り橋、二条の薬店 三条のみすや針、
四条芝居 五条の橋弁慶、六条の本願寺 七条のそば店、
八条のおいも掘り 九条の小便とり、 東寺、羅生門

坊さん頭は丸太町
ぼんさんあたまはまるたまち(丸太町)
つるっとすべってたけやまち(竹屋町)
みずのながれはえべすがわ(夷川)
にじょうでこうたきぐすりを(二条)
ただでやるのはおしこうじ(押小路)
おいけででおうたあねさんに(姉小路・三条)
ろくせんもろおてたここおて(六角・蛸薬師)
にしきでおとしてしかられて(錦・四条)
あやまったけどぶつぶつと(綾小路・仏光寺)
たかがしれてるまどしたろ(高辻・松原)

武田五一の多彩な才能。
建築からデザインまで横断

「関西近代建築の父」と呼ばれる武田五一(1872〜1938)。京大建築学科の初代教授として多くの建築家を育て、京大時計塔や京都市役所を設計。その一方で商店街のスズラン灯や石碑も、ほいと引き受け図面 を引いた。そんな才人にスポットをあてる展覧会が、京都市と、出身地の広島県福山市で開かれている。▽武田は20世紀初めに渡ったヨーロッパで、植物風のアールヌーボー、機能主義のセセッションなど、近代デザインの大きな流れを目の当たりにした。一方で、金閣寺や法陸専の修復に取り組み、日本の伝統建築にも通 じた。
▽和洋の本物に触れた彼が生み出したのは、建築様式にとらわれない折衷デザイン。寺院風の屋根に飾り瓦の鳩尾(しび)まで載せた洋館や和風の丸窓をつけた大学を生んだ。和洋を並立させるバランス感覚は、当時の建築に大きな影響を与えたという。▽役所の建築部門などに進んだ教え子らは、設計に詰まれば指導を仰いだ。そのため武田テイストが匂う公共建築が昭和初期に多く造られた。解体の決まった大阪市交通 局もその一例だ。だが、設計図や資料は散逸し、活動を知る手がかりはそう多くはない。▽京都工芸繊維大の中川理教授(近代建築史)は「作家性を正面 に出した戦後の建築家と違つて、武田は街に合うデザインを心がけた。主張せず、静かに周囲との調和を試みる造形は、公共の建築にふさわしい」と話す。▽京都市中京区の京都芸術センター(075・213・1000)で開かれている「近代京の生活デザイナー・建築家武田五一展」では、武田建築の写 真約150点のほかスズラン灯のCG画像などが並べられる。27日まで。▽出身の広島県福山市では、ふくやま美術館(084・932・2345)が「武田五一・田辺淳吉・藤井厚二 近代京都の生活デザイナー・建築家武田五一展」(3月14日まで朝日新聞社など主催)を開催中で、武田がデザインした家具や福山市公会堂の模型を展示している。
(2004.1.17付 朝日新聞夕刊・神田剛さんの記事より)

 

もっと格好よく
「クール・ビズ」
この夏、登場した言葉「COOL BIZ(クール・ビズ)」。夏のビジネス軽装の愛称で環境庁が公募のなから選んだもの。クールは「涼しい、カッコいい」、ビズは「ビジネス」。ノーネクタイ、ノー上着で過ごすことで冷房などの消費電力を抑え、地球温暖化防止対策につなげたいと期待する。それだけに、ただ上着を脱ぎ、ネクタイをはずしてみても、単なる朝帰りのおやじにしか見えない人も多いとか。なぜか、しまりが悪く、だらしない感じがする。そもそもネクタイをしめることを前提にしたシャツに問題がありそう。プロいわく、第一ボタンと第二ボタンとの間隔が狭く、ネクタイなしでも第一ボタンをしっかりとめないとバランスが悪い。次にシャツの素材感。やはり綿や麻など天然素材を選びたいもの。そして最後は、シャツのシルエット。たっぷりめより細身のほうがスマートに見えるそうだ。自然体で、でもオシャレで、センスよさを感じさせる、そんなクール・ビズで決めてみたいもの。なんて考えていたら、急に熱く(暑く)なっちゃった。ひとつここで、エアコンかけるか?!あ、そうそう肌着も大きなポイントとだよ。

「タチノミスト」って何?
最近、「立ち飲み」形式の店が静かなブームを呼んでいる。かって、立ち飲みといえば中年サラリーマンのイメージが強く、会社帰りに、酒屋に立ち寄って一杯っといった感じだった。だが、いま流行っているのは一枚板のカウンターがよく似合う店で、料理メニューも豊富で、店内はオシャレな雰囲気を漂わせている。そこへ通う女性陣をはじめ、若者たちのことを「タチノミスト」と呼ぶらしい。「立ち飲み」に「人」を表わす接尾語「-ist」で「タチノミスト」。さて彼らは一体どんな話を肴にしているのだろうか。